Fragments

Dec 16

“「やらせてくれ」をなんとか違う言葉で言い換えようとすると、数週間後から日本中で恋の嵐が吹き荒れるにちがいない” — Twitter / カミナギ (via tsuzuking) (via funebot)

“「子どもが(そして成人した男が、おぼろげな記憶の中で)母親の衣服のすそにしがみついていたときに顔をうずめていたその古い衣服の襞のうちに見出すものーーこれこそが本書が含んでいなければならないものである」” — ベンヤミン『パサージュ論』 (via rob-art) (via funebot)

“放火犯水死” — Twitter / shuhei kimura

Dec 14

※フィクションです(いやまじで)

運の悪いことに,どんな部屋でもそれを告解室に変えるには机と筆記用具しかいらない.このことは,われわれのした行為や,われわれの折々の気分とも無関係に言えるだろう.ただの立方体である部屋自体には,人を説得するような力はないということかもしれない.部屋は単に存在するだけだ.そこに入り,そこで記憶に残る隠喩を見つけるとしたら,それはそこに坐るわれわれ自身のせいだ.

—ファウスト・メイストラル

同人誌をつくりませんかという誘いを受けたおれは,ついにこのときが来たおれの文学的才能に気づいた将来有望な若者がおれに声をかけてきたぜと小躍りしながらもそれをひた隠しにしてそれでも二つ返事に返事をしたのだけれど,そのテーマを聞いたときに愕然とした.それは幸福,しかも日常の幸福だというのだ.なんということだ,これほど日常の幸福とかけ離れた人間もそういない.親の金と奨学金を食費と書籍とに浪費しながら日々を怠惰に過ごし指導教官からも見放され周りからは白い目で見られインターネットで憂さを晴らすこんな大学院生に日常の幸福をテーマに小説を書けと迫る君はいったいおれの何を見ているというんだちくしょうめ,そんな気持ちになったが,ここがおれの文学的才能を開花させるための最初のステップなのだと考えとにもかくにも書きはじめようと決心したのだった.

さて,とりあえず幸福ってなんだろうってところから考えはじめるのが正当なやりかただろう.ちょっと読みかじった経済学の本とかを思い出せば,ひとの幸福は個人間比較できるのかとか順序で測れるのかそれどころか量で測れるのかとかそういう議論があるらしいということなので,ここはいっちょ幸福の個人間比較にを手がかりにしてやろうということにしてみる,とりあえずのところは,だ.

で,自分が小説を書くにあたっておれが許すことができないのは,おれにはどうしても社会をそこに含めることができないことだ.自分の人生における受け身の姿勢が災いしてか,きみとぼくのちいさなせかいしか書けない,これはほんとうに,これだけでもう小説を書くのをやめてしまうに相応しい理由になる.これはどうしたものか,とにかく最初はきみとぼくのちいさなせかいで始めてしまって,そこから広げていけばいいだろうか,そういうことにしよう.

そうと決まれば次はプロットを組み立てていくという段になってくるはずだ.おれは小説なんて書いたことがないから,もちろんプロットを立てたことなんぞ一度もない.そもそもどこからはじめればいいのだ.登場人物からだろうか?おれは未熟だし,やはりまず自分に似た男を登場させるしかないだろうな.これが主人公でなければおそらく何のリアリティも発現させることはできない.リアリティなんぞくそくらえだという考えかたもあろうが,おれのような未熟者の小説を読んでもらうにはこれくらいの目くらましは必要なのだ.どくしゃはばかだからな!!

登場人物がひとりでは話は動いていかない.いかないこともないのだが,まあ最後までひとりではちょっと厳しい,それこそ社会もクソもあったもんじゃないし,そういえばそうだ,個人間比較とかなんとか言ってたんだっけか,それならなおさらもう一人くらいは人間がいなければしかたがない.もちろんここで美少女を登場させるのが正しいクソ人間の姿というものであろうが,未熟ではあるが文学的素養だけはあるおれはそんな選択をしない.自分よりもすこしマシな男ひとりとさして可愛くもない女ひとりを登場させることにする.この3人をダベらせてみようという魂胆だ.これだけで早くもうまくいきそうな気がしてくるものだから,おれは笑いが止まらない.

そうなると,この三人は既に知りあっているということにして,いちどは友人としてつきあっていたが,いちど離ればなれになり,小説のなかで久々に再会する,そんなところでどうだろう.悪くないはずだ.

だがもちろんそう簡単に話の筋なんてものが浮かぶわけもない.おれの弱点だ.あまりに致命的なおれの弱点だ.しかたがないから雰囲気みたいなものを決めていこうと思う.ほら,あるだろう,幻想的とか,なんか,そういうやつ.誰々の小説みたいな,とか,そういう感じのやつだ.そんなことを考えて書き留めているあいだにもう思いついている,おれは天才なのではないだろうか.何を思いついたかって,それはもちろんマジックリアリズムというやつだ.よくわからんが,なんとなく現実離れしたものをしれっと込めればいいんだろう.ほら,なんかおれ,そういうの好きだし,よし,そうしてやろう.

そこまで考えて,はたと手が止まる.それ以上まったく考えがすすまない.公園でだべってる姿はなんとなく思い浮かぶのだが,まずはそこまでもっていくプロットとかいうものが必要らしい,小説というのはまことに面倒なもので,あるていど物語というものが必要らしい.ああ,最初にそれを持ってきてもいいのだけれど,それでも結局どこかでその前を書かなきゃいけないわけだろう.なんて面倒なんだ.うーん.うーん.うーん.

とりあえずいま考えてある登場人物三人の細かい設定でも考えてみるか.年齢はもちろんおれと同じ20代前半だ.主人公は大学を出て無職だってことにしておこう,これならなんとなく自分でも共感できる.おれは未熟だからそういう主人公についてしか書くことができないのだ.悪いか.夜にはアルバイトをし,昼には寝て,だいたいそれで過ぎるような日々を過ごしている.本は読ませない.本を読むような人間はだいたいつまらないやつだとおれが思っているからだ.

おおそうだSFにしようそうしよう.まあ頑張ればちゃんと日常と絡めることができるだろう.SFにしよう.マジックリアリズムでSFだ.そういうことにしよう.ちがうな,SFリアリズムか.いやそれではただのSFか,まあいいや.マジック的な部分からなんとなく科学的な匂いがすればいいということにしておこう.

唐突にそう思いついたが,どのみち登場人物の設定を進めなければならない.おれはこういうときも冷静だ.主人公の設定をするのはもう飽きたのでつぎはもうひとりの男の設定をしてやろうじゃないか.

子供も出そう.

いけないいけない,もうひとりの男の設定であった.後輩ということにして,未だ大学生あたりでいいかな.よく分からんが.それでまあ,それなりにちゃんとした奴なんだよ.ちゃんとした奴.あんまり興味ないな.よし終わり.まあ彼女もちだということにしておいてやろう.おれからのプレゼントだ.

次は女か.これがおそらく重要なんだ.唐突にハワイへ行きたいとか言いだすんだけど,根はまともな女で,彼氏はいない.幼稚園の先生として今年から働きはじめたということにしてみるか,これも適当だ.最初はこれくらい適当でもいいんじゃないだろうか.なにか不都合があったらその場で変えてやればいいわけだし.本は読むことにしよう.で,そうだな,子供を出すとすればその園児という形で出してみてはどうだろう.なかなかやるじゃないかおれ.これは面白いものになりそうだぞ.せめて自分でそう信じなければやっていけない作業だな.っと,本音が出てしまった.ここでのおれのキャラクターは自信過剰な小説家志望の大学院生ということだったはずだ.まったく.

飽きたので明日にしようか.

今日決まったこと
・テーマは日常の幸福.とくに幸福の個人間比較について.
・登場人物は三人.男二人と女一人.加えて子供も出る.
・この三人が久々に再会して公園かファミレスでだべる.
・マジックリアリズムでSF.
・社会を書く.
・男1: 主人公.大学を出ていまは無職.無気力.本は読まない
・男2: わりとまともな奴.主人公の後輩(大学生)で,彼女もいる.
・女 : 基本まともだがたまにおかしなことを言う.幼稚園の先生.本を読む.

“いや、建築というのはもっと簡単な言葉で語られるべきものなんだ。” — はてなブックマーク - 開発を愛する僕らが目を向けるべき、ソフトウェア以外に大事な4つの事 (arclamp.jp アークランプ)

Dec 13

“エロビデオに「ロッキー」のラベルを貼ってごまかしていたが、
今では「ロッキー160」にまで増えてしまった” — クソワロタマイナーコピペ貼っていこうぜ 無題のドキュメント (via kazukij) (via tsuzuking) (via funebot)

“女の子は名詞じゃなくて動詞だと超便利” — Twitter / カミナギ

“書いているうちに腕が寝て用を失くし” — 色の話じゃない - ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ

Dec 11

もう少し自分の感覚に引き寄せて考えてみると、「なにかのために生きる」ということは、つまり「自分の価値/意味」を、外部に保証されたい、ということなのかな、と思う。その外部が客観的な自分の目線であることもあるかもしれないけれど、自分の存在理由として、何か明確で強固なものを求める。それは同時に、なにかによって生かされたいということでもあって。

例えば「誰かのために生きる」ということにも、愛や対抗や奉仕や、様々な形がある。だから、その気になれば、意味を見いだすことなんて簡単だろうけれど、簡単には満足できないのは、やっぱり人は自分のために生きているからではないのか。

腹を切る覚悟でだって、人の心を動かすことは難しい。それでも伝えたい「自分」のために生きることで、いつかそれを理解してくれる相手にこそ、生かされることができるんじゃないかと夢見る。そんな風に感じるのは、ちょっとロマンチックすぎるかもしれないけれど、何と言うか、「意味」や「価値」というのは厄介だな、と思う。

” — 三島由紀夫のインタビュー映像をみて - イチニクス遊覧日記

“でもね、もっと驚かないといけないのはね、一人の人間が、本気で伝えたいことも伝わらないっていうこの事実ですよ。三島由紀夫を、馬鹿、と一刀両断で切り捨てた奴らもね、心のどこかでは、自分が本気を出せば、言いたいことが伝わるんだ、と思ってるはずですよ。絶対に。インターネットで意見を発信している人々もね、やろうと思えば、本心が届くと過信しているんですよ。今は本気を出していないだけだってね。でもね、三島由紀夫に無理だったのに、腹を切る覚悟でも声が届かないのに、あんなところで拡声器で叫んでも、難しいんですよ” — 三島由紀夫のインタビュー映像をみて - イチニクス遊覧日記